英語学習をするうえで、気を付けたほうがいいなと思うことが、最近ひとつ増えました。
自分なりに英語学習を進めてきて、それなりに出来るようになってきたつもりでいたんですが、
英語学習をしていく過程で「この表現・言い回しはどういう意味だろう」とか「この単語はどういうときに使うんだろう」とか、インターネット上でいろいろ調べていると、色々なサイトに行き当たりますよね。
そうすると、やはり詳しい人はとても詳しくて、英語が出来る人なんてゴマンといるなあという事を思い知るわけです。
そんなことは初めから分かっちゃいる事なんですが、中途半端に「出来る」と思っているだけに、気力が下がったり、少し落ち込んだりすることがあります。
けれどもこれは、凄く意味のない事なんですよね。
自分より実力や能力が上の人がいるなんてことは、当たり前のことなので、比較して劣等感を持つだなんて、とてもくだらないことです。
英語をやり直し始めてからの1~2年は、そんなこと考えもしなかったはず。初心者・初級者の時は、ひたすら自分に出来ることに集中していたと思います。
赤ん坊がハイハイからつかまり立ち、そして両足でしっかり歩けるようになる過程で、劣等感を持つことはないでしょう 笑
それなのに、ちょっと慣れてきたと思ったらこの体たらく 笑笑
上級者を参考にすることは、とても意味のある事です。例えばどんな勉強法を行ってきたか、どれくらいの量をこなしてきたか等は、これからの学習の道筋をつけるうえで大変有用だからです。
先達の知恵や苦労は必ず意味があります。私たちはしっかりとそこから学ばなければならないし、学習でいうと真似るべきです。
けれども比較してコンプレックスを持ったって、自分の能力が上がるわけではありませんから。それがモチベーションになるという人もいるでしょうが、なるべくなら自分にフォーカスしたほうがいい、と私は思います。
そういえば以前「置かれた場所で咲きなさい」的なことが流行りましたけど、まさにそういう事だと思うのです。
この言葉は捉え方によってはネガティブな響きがあります。ブラックな場所でも我慢してやり続けなさいと聞こえる向きもある。
しかし学習という観点から捉えると、そうでもない。
置かれた場所とは、イコール現在の自分だと私は解釈しています。いまの自分にないものをねだったって、それは無いものねだりのアイウォンチューなわけです。出来ることは、自分に集中していま出来ることの最善を尽くすしかない。そうすることでしか置かれた場所を変化させることはできないのだと思います。
そうすると、上には上を見て何かを思い悩むことは意味がない、となります。
そういう意味で英語学習法で大事なこと、心構えを追加したいと思います。
着実にひとつひとつ。今日は何か一つ出来ることは増えたかな?単語を調べることはできたかな?苦手なリスニングの箇所を発見できたかな?そんなふうに自分にフォーカスして自分の成長を楽しむことが、英語学習に最も必要な要素かもしれないと、思ったり、思わなかったり。
では、今日も一日頑張ってまいりましょう。
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